コラム「理・夢・久・遊」

NO35.  消費型から生産型イノベーションへ

人類は、「分業」とともに進化した。

古代の昔、人は生きるために「衣食住」を全て自前で行っていた。
「衣」は、捕獲動物の皮でつくり、
「食」は、狩猟や農耕での自給自足、
「住」も、竪穴や毛皮の屋根や土の壁などを自らの手で拵えていた。

より安全に生き延びるために、人類は道具をつくった。
集団になり生産活動を分業化することで飛躍的な進化を遂げた。

衣類・住宅・食料などのモノの分業化だけではない。
現代では、育児・教育・介護などのサービスも分業化されている。
生きる安全が確保されると、今度は生きがいのために、遊びや趣味などの専門サービスも開発された。

分業されたモノ・サービスを受けるには、常に「お金」が必要となる。
逆に「お金」さえあれば、
衣服をつくることも、お米を育てることも、家を建てる手間暇も省け、自分の自由時間が増える。
幼児を24時間見守ることも、子供に教育を施すことも、家事も、高齢化した親を介助することも割愛し効率化できる。
何もない原っぱで創造性を働かせて遊ぶより、遊園地で付与された遊戯に乗っている方が刺激的で楽しいのだ。
「お金」があれば、他者の時間を買えばよい。
消費者(お客さま)でいれば、何も生み出す必要はない。

お金はモノ・サービスを即時に交換する。逆に言えば清算されるので相互の関係性は消滅されてしまう。
スーパーでは食品とお金を交換するだけ、塾は合格するための手法を購買するだけである。
提供する側とされる側には感情の交流、感謝も尊敬もいらない。(消費者としてのクレームは残されるが 笑)
生産をしなくなるので、お互いの生産物を「交換(バーター)」したり、自らの創造物を「贈与(ギフト)」する関係性も激減する。
手間暇かけずに効率的な結果を買うので、プロセス自体の価値は常に忘れ去られる。

お金というツール獲得のために、人生の多くを賃労働(ペイドワーク)に費やすという逆転人生に支配される。
家族との贅沢な食事のひとときも、
子どもと原っぱで遊ぶ時間も、
お金で最短距離を走りたい者にとっては寄り道に思えてくる。

最近、お金での即時の等価交換に疲れた者たちが、お金以外の交換や贈与の世界を模索し始めてないだろうか。
アンペイドな労働(ボランティア)、関係性が清算されない交換(おっそわけ)や贈与(クラウドファウンディング)、身体を使ったプロセスを楽しむことを選択するなどである。
家庭菜園やDIY、キャンプや薪ストーブなど敢えて手間暇のかかる暮らしブームである。
私たちは結果だけを享受する消費者を卒業し、プロセスをたのしみながら生産者となれる人類へのスパイラルアップ期を生きている。

消費型ではなく生産型イノベーション時代の幕開けかもしれない。
最大の応援団は、もちろんSDGsである。