コラム「理・夢・久・遊」
新年を迎えると、『20XX年、未来大予測』といった類の書籍が店頭に並ぶ。
未だ来ていないから「未来」なのに、それを予測することは言語的に自己矛盾を起こしている。
それなら「既来(既に来ている)」と呼ぶべきである。
「未来」は、予測すべきものではない。
自ら描くもの。
何が起こるかわからないVUCAの時代。
起こってもいないことに不安し、怯え、委縮することこそ、成長の最大の源泉である経験機会を奪う。
生きていく本来の力そのものを衰弱させる。
内なる心にある灯火を頼りに、自らデザインした方が楽しそうである。
万が一それが失敗だと言われたら、電球を発明するまで一万回失敗したと言われるイノベーター、トーマス・エジソンの言葉を思い出そう。
『私は失敗したことがない。ただ、一万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ。』、と。
労働組合の異業種交流も、うまくいかない方法を体験できる場である。
一人不安に怯え、閉塞している時間はない。
たとえ「発明(成功)」できなかったとしても問題はない。
既に「成長」という果実を得ているのだから。
(2020/1/6)